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「大阪の地下街、世界遺産に登録!」
そんな夢物語、実現するわけがないと思っていませんか?
地下街に掲げられた「World Heritage」のプレート…それは、本当にあり得ない話なのでしょうか?
1957(昭和32)年に誕生した大阪の地下街は、開業以来約70年、人々の日常を足元から支えてきました。
その歴史を振り返りながら、100年目、そしてその先の未来に思いを巡らせてみましょう。
地下街の存在意義
地下街は、こうして生まれた!
昭和初期、大阪では地下道の整備が進められ、昭和7年の堺筋三越百貨店前を皮切りに市内4カ所に地下道が誕生しました。これらは通学路や空襲時の避難場所としても活用されていましたが、時代とともに利用は減り、閉鎖される地下道も。
流れを変えたのは、戦後の順慶町地下道での「地下道で店舗を開きたい」という要望でした。
店舗としての活用、明るい照明、清掃と管理…大阪市はこれを許可、再び人々が利用するようになり、「明るい地下道」へと生まれ変わります。
その後、高度経済成長期に入ると、都市への人口集中で市街地の交通量は限界に。
この課題を解決するため、大阪市では地下道の拡張とあわせて地下店舗を整備する計画が立てられました。地下街構想のはじまりです。

※大阪市統計書より

※自動車に囲まれた市電(梅田阪急前・昭和30年代半ば)
そして1957(昭和32)年、大阪初の地下街「ナンバ地下センター(現NAMBAなんなん)」が誕生。以降、地下街は都市の成長とともに広がっていきます。
人の動線を地下に分散させ、地上の交通渋滞を緩和、安全に目的地に移動できる環境を実現したのです。
進化し続ける、地下街の役割
地下街は現在も都市機能を支える重要なインフラとして、多様な役割を担っています。
- 駅やビルを結ぶ、最短距離で移動できる動線
- 年間を通して快適に過ごせる、通信環境も整った居心地のよい空間
- 耐震・防災だけでなく、非常用電源や食料の備蓄といった減災の要としての安心と安全の提供

※ウメダンジョンを攻略する者は梅田を制する!?
単なる通路ではなく、「使われ続ける都市空間」として、日々アップデートされているのです。
世界遺産登録は、夢物語?
では、この大阪の地下街は「世界遺産」になり得るのでしょうか。
世界遺産(文化遺産)として登録されるには、建築や都市計画に重要な影響を与えたものであること、歴史上の重要な段階を物語る建築物あることなど、いくつかの条件が必要です。
都市の成長を地下から支え続けてきた大阪の地下街は、都市構造や建築文化の歩みを物語る存在と言えるでしょう。
まずは保存活動を積み重ね、国内における文化的評価を高めること。
そして30年後の開業100年目を一つの節目として、その価値が認められれば世界遺産への道が、少しだけ現実味を帯びてくるかもしれません。
歴史的価値の保存活動
すでに始まっている「未来への布石」、その象徴の一つが「梅田吸気塔」です。
1964(昭和39)年、地上と地下をつなぐ吸排気設備として建設されました。芸術院会員の村野藤吾氏デザインによるこの構造物は、機能美と都市景観を両立した存在として評価され、「生きた建築ミュージアム・大阪セレクション」に選定されました。価値あるものとして認められたのです。


この「梅田吸気塔」のほかにも、地下街のそこかしこにはアート作品やモニュメントが今も息づいています。それらを国内外に発信し、大切に守り続けること自体が未来への保存活動なのです。
これからの地下街、その可能性
AIやICT、ロボットなどを活用した、設備管理やより高度な防災・防犯機能、多言語対応の案内…
地下街はこれからも、時代に合わせて進化していくでしょう。
また、有事の際の避難場所としての機能をさらに強く求められる可能性も出てきました。
一方で、70年を超える建築物として、老朽化への対応や持続可能な運営は欠かせません。
日々の点検や更新、その一つひとつが30年後、100年後と、次の世代へとつながっていきます。
今何気なく歩いている地下街が、未来では「大阪の宝」として世界に認められている-
そんな物語を現実にする一歩は、私たちの足元から、すでに始まっているのかもしれません。